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29歳の若造が日々学び、もがき続ける中で見つけた有益な情報を“こっそり”メモっているブログです。

残業なんてやめちまおう!大切な時間を有意義に使うために必要な考え方とは?

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残業しすぎな日本人

日本人は“残業が大好き”なんではないかと疑うくらい残業をしている。こう書くと「したくてしてるんではない!」という反論が返ってきそうだが、日本人の残業レベルは尋常ではない。

総務省の「労働力調査」(2013年度)を元に計算したデータによると、法定外の残業をしている人は62%に上る。おおよそ3人に2人が残業しているである。明らかに働き過ぎだ。

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引用:(エコノ探偵団)残業なぜ減らない 「やる気」示す意識過剰に、厳格な時間規制も必要 :日本経済新聞

 

働き過ぎて良いことはない。働きすぎることで、心にゆとりがなくなり、仕事の効率も悪くなる。体調を崩しやすくなったり、心の病にかかったりする。そうすると、仕事のクオリティを保てなくなり、会社や顧客から価値を感じてもらいにくくなる。価値を出すためには、やはり残業をして働かなくてはならないという負のスパライルに陥るだ。

 

残業社員がいる会社の業績が良いとは限らない

私からしたら、ごく当たり前のことだと思うが、残業したからといって、業績を上げられるわけではない。日経キャリアNETの「わが社の働き方アンケート」(2012年)を基に、作成された下グラフでもわかる通り、残業時間が長くても売上高利益率は高くない。むしろ残業時間が月平均5時間程度の会社が、月平均44時間程度の会社の約20倍程度の利益率があるという現実をみると、むしろ残業があからさまな害に見えてくるだろう。

 

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 引用:(エコノ探偵団)残業なぜ減らない 「やる気」示す意識過剰に、厳格な時間規制も必要 :日本経済新聞

 

自分の時間を他人に支配させては絶対にいけない!

残業の要因はいろいろあると思うが、最も許してはならないのは、他人に合わせての残業だと思う。例えば、上司が帰るのが毎日22時頃だから、それまでは帰れないとか、お客さんが夜遅くまで働いているから帰れないとか、他人に自分の時間を支配されてしまったら、人生の限られた時間を無駄にすることになってしまう。

 

とにかく残業しないと決めて、帰ることが大事!

私も、以前までは24時近くまで働くような完全なる残業人間だったが、今では19時半には必ず会社を出ると決めている。仕事が残っていても、明日の朝やったほうが効率よく短時間でこなせるため、19時半には中断し、強制的に帰るようにしている。

最初は、周りのメンバーや上司に後ろめたさを感じたが、今では全く感じなくなってきた。さらに言えば、もし自分が19時半に帰ると決めたことに対して、強制的に残業を要求されるようなことがあれば、私はその会社を辞めるだろう。限られた大切な人生の時間を無駄にしたくはないのだ。働く場所はたくさんある。世界を探せばそれこそ山のようにあるのだ。大切な時間を浪費しながらそんな会社に留まる理由など、一つもないはずなのだ。

 

大切な時間は、自分の価値を高めることに使うべき

とはいえ、そんなに転職ばかりしていたら、働く場所はなくなるのではないか!という声もあると思う。そんな人たちに伝えておきたいことは、むしろ残業ばかりしていたら、どんどん働く場所はなくなるということだ。

残業ばかりしている人は、「働かされている」ことが多い。仕事も後手に回りがちだ。必要なことなのかも分からず、言われたことをこなしている人も多いと感じる。そんな価値があるかもわからない作業を永遠と続けていて、社会に価値を提供できる人間なれるのだろうか?

例えば、極端な例を出せば、お客さんに言われるがままに、何に使われるのかもよく分からないデータ出しを徹夜で毎晩黙々と作業している人と、その仕事はすっぱりやめ、新たな残業のない仕事につき、余った時間で英語のスキルや統計学のスキルを身につけた人のどちらが社会で価値を発揮できそうであろうか?確実に後者だと私は思う。

さらに後者のような人になれば、会社にとっても顧客にとっても価値のある人間になるため、尊重され、時間的権限も持つことができる。

具体的に言うと「これを何時までにやってください!」という頼まれ方から「これを何時までにやっていただくことはできませんか?無理であれば、調整しますので」という感じに変わってくるのである。

 

日本人の多くが、残業なんて今日からやめて、限られた大切な時間を自分のために有効に使えるようになることを望んでやまない。